今日は始業式である。そのため、登校時間は普段よりも遅いが、俺たちは普段通りに登校していた。別に俺たちが始業式の登校時間を忘れていた訳ではない。この時間帯なら人目を気にせず登校できるだろうということで早めに出発したのだ。聖杯戦争が終わり、俺は遠坂の彼氏となったのだが、今まであまり面識のなかった二人が、ましてや学園のアイドルであり幾人もの男子による求愛を悉く断ってきた遠坂凜が俺なんかと付き合っているとなると、ある日突然恋人同士なるのは不自然だし、あまりにも目立ちすぎるので良くないということから、学校では春休みが終わるまではお互い見知らぬ振りをしようということになったのである。そして今日から公然とカップルとして振る舞えるようになった。ただ、初日ということもあり、少しは人目を憚ろうということになったのだ。
「そうか。それで遠坂は緊張してるのかもな」
  それにしても表面に現われるほどの緊張を、遠坂がそんな理由でするとは思えない。前の学期でも、遠坂の方から約束を破って接触してくることが多々あったし、休みの日に堂々と二人で街中を歩いたりもしていた。それにもかかわらず、今更緊張する必要がないように思う。
「やっぱり、変だぞ。遠坂」
「遠坂の何が変なんだ、衛宮?」
「美綴!!」
「よっ。お二人さん、仲がいいね」
「なんで、美綴がここにいるんだ?」
「いちゃ悪いのか?あたしゃ、ここの生徒なんだがね」
「いや、そういう意味じゃなくて、なんで美綴はこんなに早く登校してるんだって話だよ」
  これはまずいヤツに会ったな。美綴は俺たちのことを言いふらすようなヤツじゃないけど、当分の間はからかわれることだろう。  
「アンタらにちょっかいをだそうかと思ってさ」
  俺たちが早く登校するのを知ってたのか?
「……っていうのは嘘で、新入部員勧誘で朝早くから登校している後輩達にアドバイスしてやろうと思ってさ」
  なんだ、そういうことか。
「しかし、あの遠坂が衛宮とねぇ。案外、ありえなくもないか」
「確かに、まさか俺も遠坂と付き合うことになるとは思わなかったよ」
  俺の言葉を聞くと、美綴はニヤリと口元を歪ませた。
「要するに、衛宮と遠坂は付き合っているわけだ。」
  あっ……しまった。
「あはは。安心しな、衛宮。アンタと遠坂が付き合ってるのは、アンタらが一緒に歩いてる時点で気付いてたから」
「なんでさ?」
「なんでって、遠坂は男と二人っきりでなんか絶対一緒に歩いたりしないじゃない?」
  確かにそうかも……
「まぁ、最近の間桐の様子を見てて、衛宮に何かあったことには気付いてたけど、そうゆうことだったんだな」
「間桐?慎二がどうかしたのか?」
「あのね。あたしが間桐って言ったら妹の方だよ」
「桜?」
  俺が桜に何かしたのか?余計に混乱してきた。
「はぁ、もうここまで朴念仁だと、すごいとしかいいようがないわ。ねぇ、遠坂?」
「…………」
  美綴が話かけても遠坂は、まるで銅像のように立ったままぴくりとも動かない。
「こりゃ、石像だな。」
「同感。それより……おーい、遠坂。」
  遠坂は、俺が揺すっても一点を凝視したまま凝固してしまっている。
「おいっ。どうしたんだよ、遠坂」
  俺がそう言うと、やっと遠坂は反応して、虚ろな目で見つめ返してきた。
「……あった」
  遠坂はそう呟いたのだが、なんのことかさっぱり分からない。
「何があったんだ?」
「そんなの決まっているじゃない!!」
  そんなことを言われても、残念ながら分からない。
「まだ、分からないの?あったのよ、名前が!」
「名前?」
「同じ組にわたしとアンタの名前があったの!!」
「なるほど。クラス替えか」
「そう言えば、さっき見たけど、衛宮と遠坂もあたしと同じクラスだったな。」
 美綴も同じクラスか。これはまた、充実した一年がおくれそうだな。
「って、綾子!!なんでアンタがいるのよ。」
「あたしは随分前からいるよ。な、衛宮?」
「ああ」
 遠坂はきょとんとした顔をした。
「嘘よね?」
「あたしが嘘をついて何の得があるって言うんだい?」
「うっ」
「まさかあの遠坂凛が、恋人と同じクラスになれるかどうかで一喜一憂する乙女になるとはね」
  なるほど、遠坂が緊張してたのはそういう理由があったのか。
「あら、美綴さん。アンタから私がそのように見えるのなら、賭けはわたしの勝ちということでいいかしら」
「いや。まだ、負けと認めるには早いね」
「往生際が悪くてよ、美綴さん」
  二人が何のことについて話しているのかさっぱり分からない。
「なぁ、賭けって何なんだ?」
「ああ、先に彼氏を作って、相手に羨ましがられる関係を築いたほうが勝ちっていう至極単純な賭けなんだけど、まだあたしは衛宮と遠坂がラブラブなところを見てないじゃない?まだ、負けとは認められないな」
「なるほどな。……って、もしかして賭けで勝つために俺と付き合うことにしたのか?」
  俺は心にもないことをあえて口にしてみた。すぐに遠坂が否定してくれることを信じて。
「馬鹿なこと言うんじゃないわよ。付き合うだけが目的ならどうしてアンタみたいな朴念仁で唐変木で無神経で浮気者をわざわざ彼氏にしなくちゃならないのよ」
 さすがにそこまで言われるとへこむぞ、遠坂。散々な言われようなので、もう少しからかうことにした。
「わかったよ。遠坂は俺のことが好きでもないのに付き合ってくれてたんだな」
「なっ!そんなわけないじゃない。半端な気持ちであなたと付き合ってるって、士郎は本気で思ってるの?そんなんだったら、あなたと一緒にロンドンに留学したいだなんて言いださないわよ!!」
 やばっ!
「遠坂!気持ちはすごく伝わってきて嬉しいんだけど、さすがに今のはまずいだろ」
 俺がロンドンに留学することは、まだ藤ねえにも話していないトップシークレット事項だ。
「あっ……」
「俺だってお前のことを愛してるんだ。遠坂が俺のことを好きでいてくれることを信じているに決まってるだろ。さっきは賭けの話がでたから少しからかっただけだよ」
「士郎……わたし、とんでもないこと言っちゃった……」
  遠坂は顔面蒼白でそう呟いた。
「確かに遠坂の発言は迂闊だったな。ただ、幸い聞いていたのが美綴だけだったから、まぁぎりぎりセーフだろ」
  聞いていたのが美綴だけで本当によかった。美綴は義理堅い人間だ。人の秘密を決してベラベラ人に話したりはしないだろう。
「いや、衛宮。アウトだったかも知れない」
  何か嫌な予感がする。
「どういう意味だ、美綴?」
「さっきの話、たぶん間桐も聞いていたぞ。間桐のヤツが、木陰から走って逃げていくのが見えた」
  参ったな。留学の話は藤ねえにすら打ち明けてない話であって、もちろん桜にもまだ伝えていない。
「綾子!桜はどこに走って行ったの?」
「どこかまでは分からないけど、弓道場の方向だったな」
  遠坂は、みなまで聞かずに弓道場の方へ駆けていった。
「おいっ遠坂!……くそっ行っちまった」
「悪い衛宮。あたしが面白がって遠坂をからかったせいだな」
「いや、美綴のせいじゃないよ。からかってたのは俺も一緒だし、元はと言えば留学の話を桜にしてなかった俺が悪い。それに、留学の話はいつまでも秘密にしておくような話じゃない。いずれ桜にも話す日は来たんだから、その日が早まっただけだ」
 俺がそう言うと、美綴は顔をしかめた。
「衛宮。これはそんなに単純な話では済まないかもしれない。アンタがどう思うかは知らないけど、失恋っていうのは相当堪えるもんなんだよ。自殺するヤツも出るくらいね」
  失恋?何の話だろう。
「あたしはこれ以上言わないよ。アンタが気付いてあげなきゃ意味がないから。ただ言えることは、早く気付いてあげなきゃ取り返しのつかないことになるかも知れない。それだけは覚えときな。あたしもなるべくフォローはするけど、ほとんど無意味だろうからね」
  分からない。美綴はいったい誰の話をしているのだろうか。
「美綴、お前は……」
「これ以上あたしから言うことはないよ。早くアンタの愛する人を追ってあげな」
  愛する人を追う。そうだ、俺は遠坂を追わなくちゃならない。どうして?それは、遠坂が桜を追って行ってしまったからだ。どうして桜は逃げたんだ?桜が俺たちの留学を知ってしまったから……知ってしまったからって桜はどうして逃げる必要がある。待てよ、美綴の言ったことを思い出せ。失恋………
「失恋って、桜なのか?」
「さぁね」
「なんだよ。問題提起しておきながら手厳しいな」
「まぁね。ただでさえあたしが誘導尋問したみたいなんだから、答えくらいは衛宮自身が出しなよ。あたしは、根が優しいアンタなら、大団円を迎えられるって信じてるから」
「答えを教えてくれない上に、プレッシャーまでかけてくるのか。お前、意地悪いな」
  美綴はからからと笑い声をあげて、言った。
「そりゃ当たり前でしょ。あたしの熱いラブコールを無視し続けるヤツに、優しく接するなんてできるかよ」
  そのわりには、ヒントをくれたりと優しすぎるけどな。
「とにかく、今のアンタがやることは、遠坂を追うことだよ」
「そうだな。ありがとう、美綴」
「礼を言うのはまだ早いよ。全てが無事に解決したらあたしの言うことを聞いてもらうから、今はやるべきことをやりな」
 それは恐ろしいな。
「じゃあ、礼は全てが終わった後までとっておくよ」
「ええ。そのかわり、アンタはアンタの納得のいく答えを必ず見つけてこい」
「ああ。必ず………」
  美綴と握手を交し、俺は遠坂が向かった方向に歩きだした。

 

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