俺たちは衛宮家に帰ってきた。藤ねぇに帰ることをメールで送ると、嫌味つらみが多分に含まれているものの、弁当を運んだことに免じて今日のところは許すというものだったので、とりあえずは一安心である。
「とりあえず昼飯は弁当でいいとして、夕飯は何がいい?」
「ん?わたしは何でもいいわよ」
「そうか。えっと、藤ねぇは忙しいから今日は来れなくて、桜は……まぁ来ないよな。じゃあ二人分か」
「二人きりなのに、全然嬉しくないわ」
  やはり、気持ちの整理はついたとは言えども、桜に突き放されたことは相当堪えているのだろう。
「まぁ、あんなことがあった後だしな」
「士郎に朴念仁って散々言っといて自分がこれじゃあわけないわよね」
  俺の場合は遠坂とは違って自覚がないっていうおまけ付きだけどな。
「そんなに考えたって仕方がないだろ。遠坂凛は後悔をしないんじゃなかったか?それなら、前に向かって進むしかないだろ」
「そうなんだけど、でも………」
「らしくないな、遠坂」
  遠坂は桜と仲違いをする以前も、桜の話題のときに何とも言えない寂しげな表情をすることがしばしばあった。魔術師として人との接点をなるべく断ってきた遠坂だが、桜に対しては並ならぬ感情がどうもあるらしい。
「桜がお前にとって大切な人だっていうなら、尚更落ち込んでる場合じゃないんじゃないのか?もう済んでしまったことをあれこれ悩んでも事が解決するわけでも何でもない。本当に桜のことを想っているなら、今は桜とどう仲直りをすればいいのかを考えるべきだと俺は思うぞ」
「分かってはいるの。やるべきことはわかっているのよ。だからこそ不安なの。もし、桜と仲直りできなかったらどうしようって、後悔なんかしたくないのにどうしてもそう思ってしまうのよ」
「それは後悔じゃないよ、遠坂」
「えっ?」
「遠坂も自分で言ったじゃないか。お前が抱いてる感情は不安ってものだ、いやもしかしたら愛情って言い換えた方がいいのかもな」
 俺は遠坂が落ち込んでいるのかと思っていた。でもそれは違った。それを遠坂の言葉で確信した。遠坂凛は、やっぱり遠坂凛だ。
「お前は自分で不安っていったけど、不安っていうのは後悔とは似て非なるものだ。遠坂は桜を傷つけたくない。桜との関係をこれ以上悪化させたくない。お前はそう思ってる。それは、過去の失敗を悔やんでいつまでもくよくよしているような後悔とは違う。お前はしっかり前を向いている。未来に向かって進もうとしている。未来を見据えた上で悩んでいる。確かに前向きではないのかもしれない、それでも後ろはもう気にしてないだろ。過去があるから、未来に進めるんだ。それとは反対に、過去に囚われているヤツは未来には進めない。遠坂凛は辛く重い心を背負いながらも一生懸命前に進もうとしている。だからこそ、道の先にある障害物に目がいくんだ」
 きっと、遠坂はもうそのことに気づいているんだと思う。それを心が否定しているだけなんだと思う。だから、俺にできることは遠坂を前に押し出してやることだけだ。
「障害なんて気にすることはない。お前は、どんな障害だって乗り越えられる。今までだってそうだっただろ。聖杯戦争だって、絶体絶命の窮地からこれ以上ないほどのハッピーエンドで終わらすことができたじゃないか。お前は逆境でこそ力を発揮する。それは、お前の恋人である衛宮士郎が保証する。それに、お前は独りじゃない。遠坂にも越えられない壁があるなら、俺がお前を全力で支えて、二人の力で越えていこう。俺たちに越えられない壁はない。だから道の先にある障害物なんて気にする必要はない。お前は自分を信じて、前に向かって歩いていけばいいんだ」
「……士郎。わたしの完敗かも。悔しいけど、アンタがずっと側にいてくれるって思ったら、なんでもできるような気がする。結局わたしは、自分が独りになってしまうのが怖いだけなのかも知れない」
 独りになる恐怖。それは俺にも分かる。
「そうだな。独りになるっていうことほど怖いものはないのかもしれない。十年前の大火災で俺は呆然と立ちつくしていた。家も両親も自分さえも失って、何もなくなって俺は独りになった。自分が誰かすらも分からない、ここがどこかすらも分からない。あの時の俺には、目の前に広がる光景への恐怖だけがあった。家は跡形もなく崩れ去り、人々が苦しみの声を上げながら俺に助けを求めてくる。俺は完全に独りだった。助けを求めることも出来ず、助けに応じることもできない。何も出来ない。それが怖かった。怖さのあまり何も出来なかった。俺はいったい何者なんだろう。もう何が何だか訳が分からなくなって、とにかく怖かった。恐怖だけがそこにあった。そんな俺の目の前に、突如現れたのが親父だった。嬉しかった。誰かがいることが本当に嬉しかった。独りじゃないっていうことだけで、俺は心から救われた気持ちになれた。それが、あの時感じた素直な気持ちだった」
 そのときの気持ちこそが、今の俺の原動力になっていることは間違いない。独りになるのが怖い、だから人の役に立つことをやって少しでも誰かと関わっていたい。そんな気持ちが俺には少なからずあるのではないだろうか。
「遠坂が感じている恐怖っていうのは、そう簡単に克服できるものじゃない。遠坂にとっては、今まで何でも一人でやって来たっていう自負があるから尚更なのかもしれない。今、お前の側には、俺とか桜とか美綴とか大切な人が沢山いるだろ。そんな状況が幸せで仕方がないんだろ。だからこそ、誰かが自分の前からいなくなるのが怖い。遠坂はそう思ってる。違うか?」
「……うん。その通りかもしれない」
「なら嬉しいな」
「えっ?」
「遠坂が独りになるのが怖いと思ってるってことは、俺たちのことを大切に想ってくれてるってことだろ?俺はそれが嬉しい。俺も遠坂や桜のことが大切だから、俺を大切に想ってくれてることがすごく嬉しいんだ。その気持ちが伝わってくることだけでも本当に嬉しい」
 人と人のつながりというものは、目に見えるものではない。それでも、心で感じ取ることはできる。
「遠坂は桜のことを本当に大切に想ってる。だから、桜が自分の前からいなくなることが怖いんだ。だけど、遠坂が心の底からそう思ってるのならその恐怖は遠坂にとって強い力になる。桜を失いたくないっていう強い想いが、きっと遠坂を奮い立たせて、桜の心を動かすだろうから」
 これで俺が言いたいことは全て言い切った。後は遠坂次第だろう。
「……バカ」
 今にも泣き出しそうな声で遠坂はそう呟いた。
「士郎にまた泣かされた」
 いや、全くそのつもりはなかったんだが………
「いや、ごめん」
「謝ってほしくなんかない。わたしは、士郎の気持ちが嬉しくて泣いてるんだから謝るな、朴念仁。それに、こっちを向いたら許さないわよ」
 全くコイツは素直じゃないな。
「わかったよ。しばらく側に居てやるから、落ち着くまで泣いてていいよ。俺は向こうを向いてるから、俺の背中でも胸でも何でも使えばいい」
 俺がそう言うと、遠坂は俺の背中に背中を合わせて座った。話しかけたりはしなかった。いや、話しかける必要がなかった。背中を通して遠坂の体温がこちらに伝わってくる。それだけで俺の心は満たされていた。しばらくの間、俺たちは無言でお互いの気持ちを確かめ合っていたのだった。

 

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