今年もクリスマスイヴがやって来た。ロンドンで迎える初めてのクリスマス。この日をどれだけ待ちわびたことだろう。
今日はわたしにとって、恋人ができてから初めて迎えるクリスマスイブなのである。
わたしと士郎にとって、そんな特別で大切な日に、わたしは一人で家にいた。
確かに今日ここまでは楽しいクリスマスイブにはなっている。午前中は、時計塔でクリスマスパーティーが開かれ、午後はルヴィアの家で盛大に騒いだ。魔術師として人との関わりを極力持とうとしなかったわたしにとって、今日ほど充実したクリスマスイブを送れたことはない。送れたことはないのだが、何かが違う。
何のせいか、誰のせいかなんて自明のことだ。
わたしの彼氏、朴念仁衛宮士郎くんと今だ二人きりになっていない。しかもあのバカ、ルヴィアの家でパーティーの片付けをしてくるとか言ってわたしだけ家に帰したのだ。ルヴィア家の執事をしているからといって、ルヴィアと士郎が二人きりになっている状況は非常にムカつく。今日はわたしが士郎を独占する日だ。わたし以外の女と一緒にいるなんて許されていいのだろうか。いいわけがない。
「ルヴィアに士郎を引き留めるように頼んだのはわたしだけど、簡単に了承する士郎も士郎よね。まったく」
独り言を呟いてみる。まぁ、今回ばかりはルヴィアに感謝するべきかもしれない。さて、準備をするとしよう。士郎、喜ぶかなぁ……。
−*−*−*−*−*−
「ごめんな、ルヴィア。我が儘を聞いてもらって」
「シェロの頼み事ならお聞きしますわよ。トオサカが絡んでいるのはいただけませんけど」
「本当に助かったよ。こんなこと、ルヴィアにしか頼めないからさ」
「シェロに頼られるのは、悪い気がしませんわ」
俺は今、ルヴィアの工房にいる。遠坂の助手としてロンドン塔に来ている俺が、遠坂以外の魔術師の工房にいるというのは、あり得ないことだ。本当に、ルヴィアには感謝してもし足りないくらいだ。
「シェロの発想には関心しますわ。シェロの実力を知ってしまいますと手放すには惜しいですもの」
「へっぽこ魔術師だけどな」
「魔術使いとしては一流ですわ」
褒められるような凄いことをやっているつもりはないのだが、何故かルヴィアにだけは俺は高く評価されているのだ。
「シェロもトオサカの下にいれば、飼い殺しにされるだけですわ」
遠坂は、時計塔で俺が目立たないように配慮してくれているわけだが、ルヴィアにとってはそれが不満なのだろう。
「シェロもシェロですわ。実力を隠す必要などないではありませんか」
「俺が投影魔術を使えることだけは、秘密にしてくれよ。ルヴィア」
「わかってますわよ。けれど、私はなぜ秘密にする必要があるのかと言いたいだけですわ」
「俺が秘密にしたいだけだよ。投影魔術は俺の身体にも負担がかかるからさ」
正確には、固有結界を秘匿しているのだが、さすがにそれをルヴィアに言うわけにはいかない。
「もういいですわ。シェロを私のモノにすれば済む話ですものね」
ルヴィアの前では、頻繁に投影魔術を使っているのだ。投影魔術の使用が身体的に大きな影響があるわけではないことを見抜かれているのだと思う。そうして、「トオサカに飼い殺し」と繋がっていくのだと思うが、毎日のように大喧嘩するのはやめてもらいたいところだ。
「シェロ、準備が整いましたわ」
「よし、じゃあ始めようか」
早く終わらせないと遠坂に怒られてしまうな。
−*−*−*−*−*−
「全く、あの朴念仁は一体何をしているのよ」
もうとっくにパーティーの片付けは終わっているはずである。
「まさか………」
ルヴィアの毒牙にやられたわけじゃないわよね。
「心配になってきた……」
士郎が浮気するとは思えないが、相手はルヴィアだ。全く安心できない。
「はぁ……電話を掛けるしかないわよね」
携帯電話は使えない(技術的な意味で)ので、アナログで士郎の携帯番号を打ち込み、家の電話から掛けてみる。
プルルプルルカチャ
「もしもし、士郎?」
「遠坂、ちょっと今大変なんだ。うわっ……もう少ししたら帰っ……がぁっ」
プツッ……プープープー
「一体何をやっているのよ!」
これはいよいよ黙ってはいられなくなった。
「あのバカっ」
とにかくルヴィアの家に急いで向かうため、自室に戻ってコートを羽織り、玄関まで急いで駆け降りる。
士郎のせいで計画が台無しだ。やっと士郎と二人きりになれると思ったのに、朴念仁の実力はわたしの想像を遥かに凌駕していた。
玄関まで来て自分の格好に愕然とする。
「士郎のバカ」
最後にそれだけを呟いて、玄関の扉を開けた。
パンパンパンッ
「遠坂、メリークリスマス」
目の前には、最愛の人が笑顔で立っていた。
そして……
「姉さん、メリークリスマスですね」
士郎の隣には、ここにいるはずのないわたしの妹の姿があった。
「桜、あなた……」
「来ちゃいました」
「来ちゃいましたって、どういうこと?」
桜がロンドンに来るなんてことは聞いていない。
「わたしがロンドンに来ることを先輩に相談したら、姉さんには内緒しようということになったんです」
「……なんてことをしてくれたのよ」
「遠坂へのサプライズと思って俺が企画したんだが、だめだったか」
「だめなんてことはないわよ。もう……士郎のバカ」
「遠坂、ちょっと…おまっ…」
わたしはコートを脱いで士郎に抱きついた。このままいたら、二人にみっともない顔を見られてしまいそうだったから。
「桜もこっち来なさい」
「……姉さん」
おずおずと桜もわたしの懐に入ってきた。
「士郎、桜、ありがとう」
わたしは士郎の袖でそっと涙を拭った。
「なぁ、遠坂」
「なぁに、士郎」
士郎を見上げる。やはり、わたしの彼氏は格好よかった。
「そんな格好だと風邪引くぞ?」
……………。
前言撤回。士郎の朴念仁ぶりは健在だった。
「先輩、それはあんまりです」
妹の気遣いが心に染みた。
−*−*−*−*−
遠坂があまりに綺麗だったので、直視できなくなっていた。
いや、これは反則だろう。
「本当は士郎のためだけに作ったんだけど、作りすぎたから桜がいてちょうど良かったわ」
「姉さん、わたし帰りますよ」
「冗談よ、冗談」
先程から姉妹で際どい会話をしているが、遠坂が自然体でいる証拠だろう。それは桜にも言えることだ。
「それで、桜は何日かロンドンにいるの?」
「はい。年明けまでは滞在しようと思ってます」
「泊まっていくなら、部屋を準備しないとだめじゃない」
「あっ姉さん、それなら……」
「桜はルヴィアの家に泊まってるから大丈夫だぞ」
「えっ、そうなの……」
心なしか遠坂の声が寂しそうに聞こえた。
「わたしがロンドンに滞在できたのもルヴィアさんのおかげなんです。ルヴィアさんからロンドンにお誘いいただいて、お金がないので最初は断ったのですが、住み込みのメイドとして働けば旅費も滞在費も出してくれると言ってくださって、ご厚意に甘えたんです」
「元々は桜がルヴィアの家にホームステイするってことで俺に相談が来たんだ」
ルヴィアに桜を紹介したのは俺だが、知らないうちに二人が仲良くなっていて随分と驚いた。
「やっぱり、不満か?遠坂」
「聞かなくても分かるでしょ?」
そりゃ不満だよな。姉である遠坂に何も知らせず、ルヴィアや俺が勝手に決めてしまったのだから、いくら遠坂へのサプライズだったとしても遠坂が不満に思うのは当たり前のことだ。
「その表情だと、士郎は全く分かってないわね」
「そうですね。ですが、そこが先輩のいいところの一つなんです」
「全く、こっちは気が気じゃないわよ」
遠坂に睨まれたが、俺はその意図がさっぱり分からなかった。
「本当、朴念仁にも程があるわね。桜とルヴィアがわたしたちに気を遣ってくれてるのに、不満があるわけないでしょう」
ルヴィアと桜が俺たちに気を遣ってくれてるのか?
「なんでさ?」
俺はますます混乱してしまう。
「もう、知らないわよ。わたし、先に部屋に戻るから」
そう言って、遠坂は部屋を出てしまった。
「先輩、わたしもお暇しますね」
「えっ、ああ。悪いな、桜」
俺がそう言うと、桜は俺を睨んだ。
「本当です。姉さんを泣かせたら、わたしだって黙っていませんからね」
桜はそのまま一礼すると、いつもの笑顔に戻って「また来ます」とだけ言って去っていった。
「参ったな。こりゃ……」
さて、ご機嫌斜めのお姫様に会いに行こうか。
―*―*―*―*―
士郎のバカ。
今日は、士郎に振り回されっぱなしだ。やることなすこと失敗している気がする。
「士郎にとって、わたしって大切な存在じゃないのかな」
部屋で一人、わたしはそんなことを呟いていた。
考えれば考えるほど怖くなる。
わたしは、桜が来ることを知らされていなかった。
パーティーの後、ルヴィアの家からなかなか帰って来なかった。
ルヴィアの家で、士郎は一体何をしていたのだろう。
ルヴィアの家から帰ってくる道程では桜と二人きりだったはずだ。
桜と何かあったのか。
わたしの知らないところで、士郎は誰かと……。
士郎は、わたしのことなんて何とも思わなくなってしまったのだろうか。
今日はクリスマスイヴなのに……。
「遠坂、入るぞ」
唐突に部屋の外で士郎の声がした。わたしはとっさに枕を抱え、隠れるように布団を頭から被った。
部屋の中に入った士郎は何も言わず、わたしのいるベッドの方に近づいてきた。そして、ベッドの上に座った。ベッドが軋み、わたしの体も揺れる。
「何よ。桜はどうしたのよ」
「桜なら帰ったよ」
「桜を一人で帰したわけ?アンタ、バカじゃないの?」
ここは日本ではない。ロンドンなのだ。こんな夜中に女の子一人でロンドンの街中を歩いたら、どうなることだか分からない。
「桜を見送ってる場合じゃないだろ」
急に士郎の声が大きくなる。
「俺の最愛の人が傷ついているのを見て、俺が放っておけるわけがないだろ」
士郎は怒鳴るようにそう言った。士郎の声は震えている。
「何よ。今までずっとわたしのこと放っておいて、今更そんなこと言ったって遅いわよ」
「分かってるよ遠坂。本当にごめん」
士郎はわたしの布団を剥ぎ取った。
「だけど許してくれ、全てはこの時のためなんだから」
そう言うと、士郎はわたしを抱き寄せて口付けを交わした。
「俺のために、こんな格好をしてくれたんだろう?」
「そうよ、悪い?」
「可愛いよ。遠坂」
「な、なななによそれ。今更可愛いなんて言ったって嬉しくなんかないんだからっ!」
思わず士郎を手で突き放していた。
「悪かったよ。だけど、桜がいる前で可愛いなんて言えるわけがないじゃないか」
士郎は照れるようにそんなことを言っていた。
「料理も美味しかったよ。すごく嬉しかった」
その一言で、わたしの心の防波堤は決壊した。
「何よ。今更……」
文句を言うわたしの口を塞ぐように、士郎は唇を重ねてきた。
そして、士郎は何かをわたしに握らせた。
「これが俺からの最後のサプライズ。遠坂へのクリスマスプレゼントだ」
手を開くと、剣の形に象られた赤い宝石が現れた。
「宝石の剣?」
「ああ、ルヴィアに借金してさ宝石を買い取ったんだ。鍛冶も全て自分でやった。オリジナルの剣だ。宝石の都合で小さいけどさ」
手で握れるほどの小さい剣だ。
「遠坂、この剣に魔力を注いでくれないか?」
「分かったわ」
わたしが魔力を注ぎ込むと、宝石剣は紅く煌き出した。
それと同時に、士郎の強い想いがわたしの中に流れ込んできた。
「士郎、これって……士郎の固有結界に繋がってるんじゃ……」
「良かった。ルヴィアは不思議がってたけど、遠坂は分かってくれるって信じてた」
士郎の宝石剣はわたしの知る魔術理論では理解できないものだった。けれど、わたしの魔力を注ぎ込んだ瞬間、わたしのよく知る暖かさの波がわたしの体内に流れ込んできた。それは、士郎の魔力だった。
士郎の魔術回路に直接介入するような感覚。パスが繋がっている時に感じる士郎の温もり。その全てが同時に起こるような衝撃。
この剣は、士郎の固有結界に繋がっている。あまりにも自然に、わたしは気づいていたのだ。
「俺の固有結界と繋がる剣があれば、より確実に、そしてより離れたところでパスを繋ぐことができるだろ?効果はそれだけだから、俺とパスが繋がっている遠坂しか使えない剣なわけだけどさ」
「世界でたった一人、士郎の恋人であるわたしだけが使える剣ってことね」
「そういうことだ」
士郎とわたしはパスで繋がっている。だから、この剣の効果はほとんど意味の為さないものであった。
しかし、わたしには大きな意味があった。
一つは、士郎との結びつき。
そして、もう一つは……。
「なんてことをしてくれたのよ……ありえないわよ」
「えっ、なんでさ?」
士郎は気づいていない。普通の魔術師には到底たどり着くことが出来ない、歴史的偉業であることに……。
「この剣は、わたしたちの世界と士郎の固有結界内の世界を結んでいる。つまり、この剣はこの世界とは異次元の世界と繋がっていることになるのよ。それがどういうことを意味するのか分からない?」
「いや……さっぱり……」
今更に士郎の存在の大きさを思い知る。わたしは、士郎に会うべくして出会い、愛すべくして愛したのだ。
「並行世界へと路を繋げるという奇跡を起こす『宝石剣キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ』。シュバインオーグ系譜の魔術師が追い求め、未だ誰も辿りついていない魔法の領域。そんな未知の世界に、士郎は一歩を踏み入れたのよ」
士郎の宝石剣が、第二魔法を可能にするわけではない。しかし、士郎の剣は異次元に繋がっている。それは、多重次元屈折現象であることには間違いない。
「これがあれば、魔法使いからの宿題が解けてしまうかもしれないわ」
「解くんだろ、遠坂?」
不意に士郎はわたしをベッドの上に押し倒した。
「そのために、ロンドンまで来たんだろ?」
夕暮れの教室でのプロポーズ。魔術師遠坂凛は、士郎と人生を歩むことをすでに誓っているのだ。
「そうよ。だから、責任取んなさいよ。もう後戻りはできないわ」
ああ、なんて安心感。わたしはもう知っていたのだ。
「士郎、愛してる」
「俺もだ、凛」
わたしは魔術師なんだってこと。
わたしは人間なんだってこと。
わたしは一人では生きていけないんだってこと。
わたしは一人じゃないんだってこと。
そして、わたしは士郎を愛してるっていうこと。
それだけ分かっていれば、今は十分だ。
アーチャーにだって自身を持って言える。
「わたしは幸せだよ。だから、アンタもきっと幸せになれるよ」
わたしが歩むべき道に士郎がいて、わたしを導いてくれている。
だから、わたしは士郎の手を取って未来に向かって歩き出す。
Jingle bells, jingle bells, Jingle all the way!
わたしたちの未来を祝福するように、鈴の音が響き渡る。
END