「わたしたち、もう別れましょう」
 電話越しに遠坂はそう言った。
「ちょっと待て、どういうことだよ遠坂!!」
「ごめんなさい。もう士郎とは付き合えない」
 昨日まであんなに嬉々としていた遠坂が、重苦しい声で話している。
「どうしてそんなこと言うんだ。俺が何か……」
「そうよ。士郎のことなんて嫌いよ。もう会いたくもないわ」
 確かに今日は一日中バイトをしていて遠坂とは会うことができなかった。それに最近は遠坂のために時間を作って二人で過ごすことも少なくなっている。それでも遠坂は毎日家に来て、泊まったりもしていた。
「……さよなら衛宮くん」
 そうして電話は切れた。瞬間、頭が真っ白になった。俺は絶望のあまり何も考えることができなかった。

「……さよなら衛宮くん」


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 俺は遠坂の家の前にいた。時刻は深夜23:45分。桜が少しずつ咲き始め、春の様相を呈してきたこの時期でも、深夜の冷たい風は体に染みる。
 春休みだからといって心が浮ついていたのかも知れない。世間では新年度がはじまる出会いの季節。卯月の初日に俺は、遠坂にふられた。
 聖杯戦争が終わって一年が経った。去年のクリスマスにはプロポーズもした。遠坂の両親の墓の前で、遠坂を愛していくことを誓った。それなのに……。
「遠坂、いるんだろ?出てきてくれ!!」
 先ほどからベルを鳴らして、今ので5回目だ。遠坂は、現れるどころか呼び出しのベルにも応じなかった。あきらめずに俺はもういちどボタンを押した。
「遠坂、頼むから……話だけでも……」
《カチッ》
 電子音がした。
「来ないでって言ったじゃない」
 遠坂は冷たくそう言い放った。
「あんなこと言われて俺が遠坂の元に行かないわけないじゃないか!どうして急に別れ話なんかを……」
「もう士郎と付き合うのに疲れたのよ」
「……そんな。昨日までそんな素振りは一度も見せなかったじゃないか」
 昨日まで遠坂は俺と普通に接していた。一緒に買い物をして夕食を食べて、家に泊まって……。そして今日の朝も、俺はバイトに笑顔で見送られた。
「そんな素振りを衛宮くんに見せるわけないじゃないの。我慢はしてきたけど、もう耐えられないのよ。士郎とはもう一緒にいられない」
 俺は遠坂のことを誰よりも大切に想っている。誰よりも愛している。だから、遠坂との二人の時間もできるだけ作るようにしていた。
「俺は遠坂のことを愛している。世界中の誰よりも遠坂のことが好きだ。その想いはこれからもずっと変わらない」
「そう。そんな保証はどこにあるの?わたしの衛宮くんを想う気持ちは薄れてしまったのよ。わたしが衛宮くんのことを何とも思っていないのに、衛宮くんはわたしのことをずっと好きでいてくれるのかしら?」
 遠坂は冷たい声でそう言った。俺は遠坂に自信を持って答えた。
「ああ。当たり前じゃないか。遠坂が俺のことを嫌いになっても俺の想いは変わることはない。遠坂が俺と一緒にいられないと思うなら俺は遠坂の元を離れるよ。それでも、俺は遠坂のことが好きなんだ。この想いが変わることなんてない。俺はそう言い切れる」
「……そう。でもごめんなさい。衛宮くんがわたしのことを好きでいてくれても、わたしは何とも思わないの。もう帰って」
《プチッ》
 そうして通信が途絶えた。
 
 俺は遠坂のことをどうしてもあきらめることができなかった。遠坂やオトさんと連絡を取り合うために、ついに購入した携帯電話を取り出し遠坂に電話をかけた。
《なによ》
 遠坂は不機嫌そうに電話に出た。
「ごめん遠坂。俺、やっぱり納得がいかないんだ。どうしても遠坂のことをあきらめられない。だから……だからせめて会ってくれないか?」
 泣きそうになるのを必死に抑えて、俺はやっと思いでそう答えた。
《わかったわよ。開いてるから、入ってきなさい》
 遠坂はそう言って、電話を切った。覚悟を決め、俺は遠坂の家に入った。

 

−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−


 ダイニングのテーブルに向かい合って座り、俺と遠坂は対峙していた。カチカチと時計の針が進む音が不気味な旋律で聞こえてくる。
「遠坂、どういうことだよ?」
「だから、さっき言った通りよ。もう士郎とは付き合えない」
 突き刺さるような鋭い声で遠坂はそう答えた。それでも俺は、あきらめない。
「なんでさ?俺がなにか………」
「もういいのよ。わたしが士郎のことを嫌いになっただけ」
 遠坂はそこまで俺のことを……。
「本当にそれだけなのか?」
「……そうよ」
 そんな風に言われてしまったら、返す言葉がなくなってしまう。もっと言いたいことは沢山あるのに……。
「だったら、俺はどうしようもない。でも、俺は遠坂のこといつまでも愛してるから。だから……」
「もういいでしょ。出て行って」
 遠坂は俺の言葉を遮るようにそう言った。
「遠坂、俺は……」
「士郎の声なんてもう聞きたくない。いいから早く出て行って!!」
 遠坂の怒声が部屋中に響いた。未練を残しつつも俺は部屋を後にし、遠坂の家を出た。そして俺はその場に座り込んでしまった。体に力が入らなかった。辺りに広がる闇が俺の心に入り込んでくる。もう涙が溢れ出してきて止まらなかった。そうか、俺は遠坂にふられたんだ。


 時刻は24時を回った。日付が変わり、俺は絶望の淵で新しい一日を迎えた。
 もう遠坂と会うことはないのだろうか?
 今まで二人で積み上げてきた思い出も。あの時の誓いもなにもかも、無に帰してしまうのだろうか。
 今日からは遠坂のいない生活が待っていて……。俺は、独りで生きていく。一人で……。


《ガチャ》
 瞬間、玄関のドアが開いた。
「大成功ね。びっくりしたでしょ、士郎?」
 中から現れたのは満面の笑顔の遠坂だった。俺は唖然として動けなかった。
「どうして……遠坂?」
 さっきまであんなに俺のことを避けようとしていた遠坂が、まるで人が変わったかのように楽しそうに笑っている。
「日付が変わったからよ」
 遠坂はそう言った。しかし、俺には何のことだかサッパリ分からなかった。
「あら、その様子だとまだ気づいてないようね」
 今の状況が理解できずにいた。もう会わないと言っていた遠坂が、あまりにもあっさりとドアを開けて、笑顔で目の前に立っている。
「昨日が何月何日か分かってる?」
 先ほど日付が変わったから、昨日は4月1日だ。……あっ。
「もしかして今までの一連のやりとりは……」
 電話で俺は遠坂に突然ふられた。そのやりとりは全部……。

「そうよ。全部嘘よ」

 してやられた。完全に騙された。昨日はエイプリルフール。遠坂は、ずっと俺に対して嘘をついていたのか。
「もしかして、俺は遠坂と別れないでいいのか?」
 俺が遠坂にふられたのが嘘だったとしたら、あの会話も全部嘘……。
「当たり前じゃないの。わたしの恋人は士郎以外ありえないし、士郎より大切な人なんているわけないじゃない」
「……嘘なんだよな。全部嘘なんだよな、遠坂」
 反芻するように、何度も何度も確かめるように俺はその言葉を心の中で繰り返した。そして、遠坂は、優しい声で俺に答えてくれた。
「全部嘘よ。昨日士郎に言ったことは全部、嘘。士郎が嫌って言ったって絶対に別れてやらないし、悔しいけどわたしの士郎への想いは強まる一方よ。わたしだって衛宮くんのこと世界中の誰よりも愛しているんだから」
「……遠坂」
 そして、遠坂の可愛らしい笑顔に一筋の涙が落ちてきた。
「だから、嬉しかったわよ。わたしがアンタをふったのに、士郎はずっとわたしのことを好きでいてくれた。士郎を騙すことはずっと前に考えたけど、失敗して本当に士郎がわたしから離れて行っちゃうんじゃないかってずっと不安だったから」
 そうなのか。遠坂は俺のことを愛してくれていて、ずっと俺の遠坂に対する想いを気にしてくれていたんだ。
「騙しちゃってごめんね士郎。それに士郎を試すようなことしちゃってごめん」
「いいんだそんなこと。正直驚いたけど、今はもう嬉しくて仕方がないよ。遠坂がいなくなった生活のことを考えてすごく怖くなった。だから、本当に良かった」
 改めて、俺にとって遠坂がどれだけ大切な人なのかを改めて思い知らされた。
「えへへ。衛宮くん、これからもよろしくね」
 俺が見上げた遠坂の顔は、今までの緊張を全て洗い流してくれるような女神のような美しい笑顔だった。
「もう離さないぞ、遠坂」
 俺の誰よりも大切で大好きなパートナー。
「わたしだって離さないわよ」
 俺の隣に遠坂がいて、遠坂の隣に俺がいる。そうやって二人でいつまでも一緒に支え合っていきたい。
「じゃあ遠坂、改めて聞くけど……」
「なに?」
 俺は立ち上がって遠坂の前に立った。
「これからもずっと一緒にいてくれるか?」
 遠坂は微笑んで優しい声で答えた。
「ええ、もちろんよ。これでもかってくらい幸せにしてあげるんだから」
 俺は遠坂を抱き寄せて、口づけを交わした。今までのどんなキスよりも重い口づけ。そんな重さの分だけ、二人の想いが詰まっていた。

 出会いと別れの新年度。俺たちは、こうしてお互いの想いを確かめ合うことができた。永遠に続く愛を誓った。

 明日からまた、俺たちの新しい生活が始まる。

 それでも、俺の想いは変わらない。

 いつまでも一緒に、二人で歩いていこう。俺と遠坂の二人で……。


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