散々人々を騒がせたノストラダムスの大予言も外れ、無事に新しい世紀を迎えたのは良かったが、新年早々、伽藍の洞は倒産の危機を迎えていた。
  これだけは所長の名誉のために言って置くが、ローンや税の支払いはキチンと行っている。借金をしている訳でもない。経理を担当している僕が言うのだから間違いない。だから、倒産の危機に瀕しているのは、経済的な理由ではない。
  もっと深刻な理由だった。
  事務所に誰も来ない。
  もう、一人で仕事するようになって一週間も経つ。にもかかわらず、その間伽藍の洞に現れたのは、式と鮮花だけだった。
  それも、二人とも事務所には年末年始に顔を出しただけで、仕事をした訳ではない。まぁ、元々二人とも社員ではないので文句を言うつもりはない。
  問題は、伽藍の洞所長蒼崎橙子が出勤して来ないことである。いや、正しくは蒼崎橙子が行方不明になっていることだ。
  確かに今までも二・三日程度であれば音信不通になることもあった。所長が、自由奔放な気紛れタイプであることも知っている。しかし、所長が何も言わずに一週間も事務所を開けたことは今まで一度もなかった。それも、所長の工房から所長の工具一式が揃っているアタッシュケースが持ち去られているのだ。つまり、意図された失踪な訳である。
 現在僕が所長探しに全力を注いでいる。そのため、暇という訳ではなかった。というより、心が休まる暇もない。所長が行方不明になってからというもの、式の様子がおかしいのである。
  最近の式はすぐ不機嫌になって、話もまともにしてくれない。かと思えば、僕が買ってきても長い間食べてもくれなかったダーゲンハッツのアイスクリームを、しきりに買ってこいと頼まれるのである。そんなことは今まで一度もなかったので、正直最近の僕は式の変化に混乱を隠せないでいる。
  そんなこんなで私、黒桐幹也は大混乱と疲労困憊の無限連鎖に突入している。そんなヘヴン状態でも、律儀に所長探しと依頼の調整をしている自分に嫌気が差すが、そういう性分なので仕方がない。
「こんにちは。あれ、兄さんだけですか?」
「所長は今日も休み。一体、何してるんだろうねあの人は」
 妹の鮮花が事務所に入ってきた。事務所で人に会うのが久しぶりで、知った顔だと尚更ホッとする。
「幹也さん、明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします」 
 鮮花に続いて静音ちゃんが中に入ってきた。
「静音ちゃん、明けましておめでとう。二人で来るなんて珍しいね」
  二人が全寮制の礼園女学院に通っているということもあるが、二人揃ってここを訪れるというのは、確か二人の入社試験が終わって抗議に来た日以来のことである。
「式に聞きましたが、師匠が行方不明なんですって?兄さん、どうしてそのことをわたしに黙っていたのですか」
「所長はあまのじゃくだし、放っておけば帰ってくると思ったんだけど……」
  途中で話を切り、静音ちゃんを見る。予想通り、静音ちゃんは悲壮な面持ちで話しはじめた。
「橙子さんはあと最低二年ぐらい帰って来ないと思います……」
「やっぱり、そうだよね」
  静音ちゃんがそう言うからには、まず間違いなく所長を簡単に見つけることはできないだろう。
「たぶん、ドイツ辺りに滞在してから日本に戻ってくるとは思いますけど」
「もういいよ、静音ちゃん。見つけても連れ帰れない場所にいるんじゃ、探しても意味がない」
  昔所長は、僕に伽藍の洞を捜し当てられて相当悔しがっていたから、今回は入念に失踪したのだろう。海外に逃げられてはお手上げである。
「ところで兄さん、式はどうしたんです?」
「知らない。今日も部屋で寝てるんじゃないかな」
  最近の式は、触らぬ神に祟りなし状態なので、必要最低限の会話しかしないように努めている。そのため、式が最近何をしているのかさっぱり分からないのである。
「そうですか。あの人もあの場にいたから誘おうと思っていましたがいないなら仕方がありません」
「ん?誘おうって?」
「あっ、幹也さん。実は、梨本夫妻のお店が移転してリニューアルオープンするのが今日なんですよ!なんで、皆でお祝いに行こうって話になったのです」
  梨本夫妻とは、昨年の鮮花と静音ちゃんが引き受けた依頼の依頼人であり、事件が解決してからも良く二人で顔を出しに行ってるそうだ。
「それはめでたいね。僕も是非とも行かせてもらうよ」
  所長探しはさっぱり諦めるとして、僕は気分転換に鮮花たちについていくことにした。
  まさか、あんなことになろうとも知らずに……。

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