ついに来てしまった。人外の魔境『伽藍の洞』。この地に入ったら最後、無事で帰っては来れない。眼上に見上げる廃ビルは、一種異様な空間を作り上げていた。用事でもなければ、こんなところには絶対に来たくない。
「へえ、幹也さんってこんなところに勤めているんだ〜」
 全く、脳天気な。こちとら、悩みに悩んで昨日の夜は全然寝付けなかったというのに………。
「なんでも兄さんは、地図にあっても誰もが見落としてしまう結界をいとも容易く通り抜けたらしいわ。師が言うには、探る者として卓越したモノを持っているんだとか」
 こちらに引っ越してきて橙子師のところに挨拶に行ったら、幹也が橙子師の事務所に就職しているというもんだから、大層驚いたものだ。おかげで幹也に会うきっかけが一つ増えたので、わたしにとっては不幸中の幸いだっだ。
「鮮花ちゃんの師匠さんってどんな人なの?気になるなあ〜。あっ、でもこの階段上がったら会えちゃったりするんだっけ?」
 こいつ、完全に浮かれまくっている。

 階段を上がり、四階の入り口で立ち止まり、ドアをノックした。
「失礼します。鮮花ですが、入ってもよろしいでしょうか」
《勝手に入っていいぞ》
 橙子師の声が部屋の中から聞こえてきたので、ドアノブを回し、部屋の中に入った。
「平日に鮮花がここに来るっていうのも珍しいな」
「今日は学院の創立記念日なんです。ですから、学校を欠席したわけではありません」
「そうか、あれから一年も経ったのか。黒桐兄妹が式のことで喧嘩している姿は、実に微笑ましかったぞ」

 そうだった。わたしは昨年のこの日、学校の寮が火事に見舞われ実家に一時退去していた最中だったので、魔術を習いに事務所に顔を出した。そこでわたしは人生7度目くらいの一大決心を起こし、憎き両儀式に疑問をぶつけてやった。
『────ねえ。式って男なんでしょう?』
 わたしのこの発言で式は完全に不機嫌になり、幹也とわたしは壮絶な口論を交わすこととなった。

「あのときはあのときで面白かったがね。ところで式、おまえは男なのか?」
 橙子師の人をからかうやり方は本当に質が悪い。
「鮮花には悪いけど、オレは心身ともに女だぜ」
「それなら少しは女らしい言葉遣いをしてくれません?」
「待て待て二人とも。静音ちゃんが困っちゃってるじゃないか」
 幹也がわたしと式の間に割って入る。橙子師は、つまらんと呟いていた。

 

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