「それで、鮮花はここに何の用があるんだ?」
 橙子師のこの質問にあらかじめ用意してあった返答を返す。
「もちろん、兄さんに会いたくなったから来ました」
 わたしの発言に、幹也は目を大きく見開いたまま氷漬けになったように固まっていた。以前橙子師が言っていた『目に見えてうろたえる』っていうのは、こういうことかと少し納得した。
「というのは嘘で、橙子師と兄さんに進路の相談をしようかと思いまして来ました」
 実を言うと、幹也に会いたかったというのも本音ではあるのだが、今日のところは自重しておくことにする。かつてわたしは、直球勝負はしないと心に誓っていたが、式が女に目覚めてしまった今となっては、いずれ直球勝負をしなければならないことは明白だろう。ただし、今日は式もこの場にいるのでわたしの気持ちを伝えるのは後回しだ。
「ははっ。鮮花も言うようになったな。よし、それで進路相談って時計塔にでも留学したいのか?」
 ロンドン時計塔。魔術協会の本部が置かれ、魔術師の魔術研究機関総本山。国籍、ジャンルを問わず、あらゆる地方から魔術師が集まり、審査を通過した者が学院に入学する。一度入学すれば、何年でも学院には所属できる。魔術を研究するならば、学院以上に設備が整っている場所はない。
「いいえ。わたしは発火の魔術しか使えませんし、時計塔に留学するにはまだ未熟だと思っています。それよりも、卒業後はわたしをここでキュレイターとして雇っていただきたいと思っています」
 式なんて邪魔者さえ現れなければこのまま普通に名門と呼ばれる大学へ進学していたことだろう。しかしながら、こんなことになってしまった現在、わたしにとって大学とかもうどうでもいいと思うようになってきた。大学なんて行ったところで学べることはたかが知れてる。それなら、わたしのやりたいことを、わたしの好きな幹也の側でできる方が何倍もましってもんだ。
「ふむ。まあ鮮花の実力なら考えてやっても良いかもな」
「本当ですか。ありがとうございます」
 あっさりと、実にあっさりとわたしの進路は決まりそうだ………。
「ちょっと待った。黙って聞いてれば、橙子さん。家の妹の将来をそんな簡単に決めないでください。キュレイターなんてダメに決まってるでしょう。第一危険だし、こんな事務所に就職するより大学に進学する方がいいに決まってる」
 やっぱり、わたしのお兄様は断固反対の姿勢を取ってきた。
「それなら兄さんはどうして大学を中退してまでここに就職したんです?」
「僕のことはどうでもいいんだ。僕と違って鮮花は成績も優秀だし将来有望なんだ。こんなところでその有り余る才能を無駄にすることないだろう」
「才能だったら、大学に進学するよりここでキュレイターをするほうが何倍も生かされます。大学なんて行ったってつまらないだけですし、それだったらここに就職したいんです」
「おいおい、兄妹喧嘩はまた今度にしてくれないか。ただ、鮮花も本当にここに就職したいならウチの従業員に納得してもらうしかないな」
「僕は許しませんよ」
「黒桐の妹を思いやる気持ちも分からないでもないが、鮮花がここに就職すれば強力な戦力になることも間違いないな」
 普段は魔術指導に厳しい橙子師だが、こうして実力を評価してもらえるとやはり嬉しいものだ。
「そこでだ。入社試験を行うことにする。詳しい内容は後で発表する。これなら、双方ともに不満はあるまい」
「ちょっと待ってください。それじゃあ、その試験に合格したら鮮花はここに就職するってことじゃないですか」
「無論、そういうことだな。ただし、試験官は黒桐幹也くんにお願いするってことなら、きみも構わないだろう」
 静音が視てた未来は、これだったのね。こりゃあ、大丈夫とは言えないわ………。


 まあ、その後あーだこーだと幹也とわたしは橙子師を挟んで言い合ったが議論は平行線を辿った。
「ところで、きみはどうしてここに来たんだ」
 唐突に橙子師が静音に尋ねた。
「ああ。静音にはわたしの付き添いとしてここに付いてきてもらったんです。学院の方には、進路のことで静音と一緒にいろいろな場所を回ってることにしてあるんです。ですから静音は別にここには関係なくてですね……」
「あのっ。わたしもここに就職させてください!!」
「「「……………」」」
 ん?就職?
「ええ〜〜〜〜〜〜〜!!」
 いかにも怪しい廃ビルで、若い女の叫び声が轟いていた。

 

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