伽藍の洞事務所内。蒼崎橙子はコーヒーを啜っている。それも眼鏡を掛けて、満面の笑みで……。何か良からぬことが起きるのは間違いない。
  式はというと、ソファーでぐっすり眠っているようだ。まぁ無理もない。昨晩あれだけ激しく動いたら……ごほん、なんでもございません。
 僕も手持ちぶさたで、暇潰しにテレビを見ていたのだが、階段の方から早足でドタドタと上がってくる音がした。
“バタン”
  事務所のドアが開く。中に入って来たのは、なぜか激怒している鮮花と苦笑している静音ちゃんだった。
「これはどういうことなんですか!」
  鮮花は真っ直ぐ所長のところへ歩いて行き、何かの書類を見せながら怒鳴っている。
「どう見たって依頼書じゃない?」
  眼鏡をかけた笑顔の所長。これは間違いなく、先ほど感じた悪い予感が的中する。
「わたしが言ってるのは中身のことです。『妹に盗られた魔眼殺しの眼鏡を取り返してきてくれ 依頼人:蒼崎橙子』って、こんなの不可能じゃないですか。相手は世界に五人しかいない魔法使いの一人ですよ?万が一にも奇跡的に青子さんに遭遇したとしても、魔眼殺しの眼鏡をくださいだなんて頼めるはずがないじゃないですか!それに一週間でこなせる依頼じゃないです、これ。橙子師がわたしたちを社員にしたくないとしか思えないです」
  まくし立てるように話す鮮花に対し、所長は眼鏡を外して応答した。
「一級建築士の資格でも取って出直して来いってことだ。こんなちっぽけな事務所のキュレイターなんて大学に通いながらでもできるだろ」
  所長の言うことは正論である。礼園女学院の生徒であれば行動はそれなりに制限されるが、大学生になってしまえば自由度は大幅に広がるはずである。
「では、どうして入社試験なんてやったんですか!」
「良い経験になっただろ?」
  鮮花の怒りは最高潮に上がっているが、鮮花も橙子さんにそんな風に言われてしまったら言葉を返すことができない。
「静音も何か言ってよ」
  ずっと苦笑いをしていた静音ちゃんが、申し訳なさそうに口を開いた。
「えっと、鮮花ちゃん。こうなることは分かってたから……」
  しばしの沈黙。そして……。
「分かってたなら、早く止めなさいよ!!」
  鮮花の暴走が始まった。
「所長、早退してもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。しっかりお姫様の機嫌を直して来い」
「元々は所長のせいなんですけどね……。鮮花、この前言ってた懐石料理の店にでも行こう。もちろん、静音ちゃんも一緒に」
「本当ですか!ほらっ鮮花ちゃん、元気出して。幹也さんと懐石料理を食べに行こう?」
「兄さんはそんなことでわたしが納得するとでも思っているのですか?大体、兄さんも兄さんで……」
  鮮花はその後もひたすら愚痴……もとい説教を垂れながらも、僕らと懐石料理をたらふく食べて、気分よく実家に帰っていった。まぁ、僕の財布がずいぶん軽くなったのは言うまでもない。
 

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