そこだけが別世界だった。
「なんなのよ。これ」
  目の前の建物だけが、燃え上がっていた。周りのビルには一切火が燃え移ることなく、周囲の干渉も全く受けていない。その相互不干渉さで一層建物の不気味さは増し、異質な空間を形成していた。
「これは一筋縄では行きそうにもありませんね」
  小規模ではあるが、ビルの周囲に張られている結界は精巧かつ強力なものである。また俺が解析するかぎりは、炎の威力は強大で優れた抗魔力を備えていた。
「坊主、顔が青ざめてるぜ。大丈夫か?」
  ランサーの指摘通り、俺は極度の緊張状態にあった。
「ああ。大丈夫だ。すぐに突入するぞ」
「嘘をいいなさい。アンタ震えているじゃないの!」 
  確かに遠坂の言う通り、さっきから震えが止まらなかった。
「いったいどうしたのです、シロウ」
  原因は分かっていた。
「悪い。戦いが怖いわけではないんだ。だけど、火事を目の前にすると足がどうしても動かない」
  十年前の冬木市史上最大最悪の大火災。その災禍に少年時代の俺の姿があった。目の前には、凄惨な風景が広がっていた。肌が焼け爛れ、助けを求めて手を伸ばす者。生前は赤ん坊であっただろう肉塊を抱えて助けを求める女。道を見渡せば死体の山ができていた。
「あの火事は聖杯が起こしたことは頭では理解してる。それでも、誰にも手を差し伸べられずに、ただ自分が生きるために歩き続けることしかできなかった自分がもどかしい」
 何度も助けてと声をかけられた。道行く人々に何度も手を差し出された。俺はその声を、その手を無視することしかできなかった。
「今でもあの火事のことを夢に見ることがある。そのたびにあのときの恐怖が甦る。あのとき何もできずに孤独であるしかなかった自分の姿が脳裏に焼き付いて離れない」
 あの火事の中にいた人々のほとんどが死んでいく中、俺は生き残った。俺が切嗣と出会えたことはまさに奇跡だった。
「シロウ、あの火事はアンリマユがおこしたものです。あなたや当時の私のマスターも誰一人として間違った者はいない。あれがあの場では最善策だったと私は思います」
 確かにそうかもしれない。それでも、俺は正義の味方を志す者として当時の俺は不甲斐なかったと思うし、一生心に背負っていかなければならない枷であると受け止めている。
「セイバーの言う通り、あの火事は誰の所為でもないのかもしれない。それでも、俺が助けを求める者達にしてやれることはあったと思う。それを無視して最終的には俺は生き残った。そのことを俺は一生心にとめておかなければならないと思うし、今この世で生を全うしていることに感謝をしなければいけないと思う」
 だからこそ、多くの命を失ったあの景色を目の当たりにすると、全身に恐怖が駆けめぐる。
「俺のこの震えは、一生俺が忘れてはならない感情が表に現れたものだ。ただそれでも、二度とあのような光景が起こらないようにするためにも、俺がここで立ち竦んでなんかいられない」
 今、過去との楔を断ち切る試練が訪れているのであろう。この第六次聖杯戦争は、セイバーのためでも遠坂のためでもない、俺自身のための戦いなのだ。
「いくぞ。俺はこんな恐怖には負けない」
 そして俺は、紅蓮の地獄の中に一歩を踏み出した。

 

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