その場は静まりかえっていた。閑散とした地下駐車場の中央に異質な空間が形成されていた。ソファーに横たわる花嫁姿の妖艶さとは裏腹に、女性は緊張に身を震わしていた。先程までの威厳はもはや見る影もなく、男は苦悶の表情を浮かべ、傷口を押さえながら死の恐怖に怯えていた。そんな光景を巨人の肩に座る美しい銀髪の少女が冷然と見下ろしていた。
「久しぶりだねお兄ちゃん」
  少女らしい屈託のない微笑みでイリヤスフィールが見つめてきた。緊張感に満ちている空間において明らかに異質な存在であった。
「イリヤスフィール、どうして貴女が生きているのよ」
  俺はこの目でギルガメシュがイリヤスフィールの心臓を体から抉り取った瞬間を見ている。さらにイリヤスフィールの心臓は前回の聖杯戦争において聖杯召喚の触媒として使用され、現在は慎二の心臓として活動中のはずである。
「リンも元気そうで何よりだわ。わたしのことはイリヤって呼んでほしいな」
「イリヤ、もう一度俺が聞くけどあの時死んだはずじゃないのか」
  イリヤの心臓が慎二の体内に存在するかぎり、イリヤが生きているということは常識的に考えられない。
「うん、シロウたちは間違ってないよ。確かにあの時わたしは死んだわ」
  俺たちが正しいのであれば、今こうしてイリヤがいること自体が矛盾することになる。
「今のこの肉体は人形なの。機能としては人間とあまり変わらないけど、やっぱり少し動きづらいかな」
「それって………第三魔法」
  遠坂が茫然とした表情でそう呟いた。俺たち魔術師にとって魔法は魔術とは似て非なるものである。魔法とは科学では到底説明のできない神秘の体現のことを言い、魔法使いはこの世に五人しか存在しないとされている。
「ううん。魔法にすごく近いけど魔術よ。魂移転魔術っていって、人形やホムンクルスに魂を移し替えるだけのアインツベルンでは割とよく使われる魔術かな」
  イリヤは簡単に言うが、魂移転は魔術の中でも最高級に難しい部類に入ると聞いた。俺が持つ固有結界がなぜ禁忌とされるのかを遠坂に習った際に、魂移転魔術は本来魔法の域に手を掛けるほど強力だが、その有用性から禁忌とはされなかった魔術として挙げられていた。
「それにしてもおかしいじゃない。魂移転魔術なんてシングルアクションで発動できるはずがないわ」
  確かに遠坂が言うように、高度な魔術になるほどその術式は複雑になり、呪文詠唱も長くなるため、魂移転魔術をシングルアクションで発動することは不可能に近い。
「わたしの本体で脳の活動が停止した瞬間に魂が人形に移転されるようにあらかじめ用意してあったもの。わたしがあの瞬間に何かする必要はなかったわ」
  なるほどそれならば呪文詠唱の必要はない。しかしながら、イリヤが生きていることが未だに信じられない。
「君は本当にイリヤなのか?」
  ギルガメシュの手がイリヤ体に突き刺さり、心臓を取り出した瞬間の映像が鮮明に思い出される。目の前にいるイリヤは、あの時殺された少女なのか。彼女の口から今一度真実を告げてほしかった。
「そうだよ。イリヤはシロウたちを殺すために戻ってきたの」
  依然として銀髪の少女は笑顔を崩さずにいた。それでも、殺気は十分に伝わってきた。
「よかった」
  イリヤは俺たちを殺そうとしている。それでも俺はイリヤが生きていることが嬉しかった。俺が救ってやることができなかったと思っていた少女が目の前に存在する。それだけで十分だった。
「なんで……。わたしはシロウを殺そうとしているのよ」
「それは困る。でも、イリヤが生きていることはすごく嬉しい。その感情に殺す殺されるは関係ない」
  たとえ敵であろうとも、死は悲しいものだ。きっとイリヤには、俺のそんな感情が理解できないのだろう。
「ふーん。わたしが生きていたことでシロウは死ぬことになるんだよ。それでもいいの?」
  聖杯戦争中とはいえ、イリヤがどうしてここまで俺の死にこだわるのかは分からない。ただ、イリヤの心が揺れ始めている気がした。
「ああ。イリヤと全力で戦って負けたなら仕方がないさ。俺だって聖杯戦争に参加している以上、自分の死は覚悟している。だが、俺たちは負けない。邪念に支配された聖杯戦争の螺旋を断ち切るために、世界をこの世の全ての悪の恐怖から解放するために、俺たちは負ける訳にはいかないんだ」
  正義の味方となる第一歩として、必ずや聖杯戦争に終止符を打つ。
「そう。なら、シロウともこれでお別れだね。行くわよ、バーサーカー」
  イリヤがバーサーカーの肩から降りると、バーサーカーは轟音を轟かせ俺たちに迫ってきた。

 

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