結局、美綴の思惑通りになってしまった。俺は、ライダーを離れの和室に案内し、美綴に使ってもらう布団を担ぎながら廊下を歩いていた。
「えーみやっ!!」
 不意に後ろからバンと叩かれ、背負っていた布団を落としてしまい、さらに運が悪いことに、落とした布団を踏んだことで足が滑り、後方へ思いっきり倒れ込んでしまった。
「いたた……衛宮、ごめん。驚かしたな」
 耳元で美綴の声が聞こえる。背中には暖かく柔らかい感触。俺は後ろから美綴にぎゅっと抱きしめられていた。
「美綴、この体勢はまずいんじゃ……」
 そう言いながら俺は美綴の手を振りほどこうとしたが、美綴は手を放そうとはしなかった。
「……美綴?」
 そう美綴に呼びかけてみても、美綴からの返事がなかった。ただ、美綴を振りほどこうとしても余計美綴に抱きしめられる力は強くなっていった。
「どうしたんだよ。美綴!」
 俺が強くそう叫ぶと、美綴の腕の力がふっと弱まった。
「……怖い」
 消え入りそうな声で美綴はそう口にした。
「衛宮もいなくなったらあたし、どうすりゃいいんだ。あたしは記憶を失って空っぽの状態なのに、何も分からないまま聖杯戦争に巻き込まれて、遠坂はあたしらの元から去ってしまって、それで
衛宮までいなくなったらあたし……」
 美綴の声は震えていた。いつも明るく力強い口調で話す美綴とは思えないほど、儚く弱弱しい声が耳元から聞こえてくる。
「今朝目覚めたときも、風呂に入って一人でいる時も怖かった。一人になったら、あたしがあたしでない感じがして怖いんだ。この手を離したら、あたしはまた一人になってしまうんじゃないかっ
て思うと怖いんだ。あたしはどうすりゃいいのさ、衛宮」
 俺は美綴の手をそっと握った。
「俺にも分かるよ。美綴」
「……衛宮?」
 俺は自然とそう答えていた。
「過去の記憶がないことがどれだけ怖いことか、俺にも分かる」
 10年前の冬木市の大火災で、俺は幼いころの一切の記憶を失った。
「怖いのは当たり前だ。自分が何者かも分からなくて、生きている実感だって湧かない。過去を失くした者は、縋る物が何もないんだ」
 それは、俺がずっと感じてきた恐怖だった。記憶を失った当初、俺には生きる意味が何もなかった。生きる希望も何もなかった。
「だから、この感触を忘れないでくれ。俺を掴んで離さないこの手の感触を絶対忘れないでくれ。美綴がこの感触を忘れなければ俺はいつだってお前の心の中にいてあげられる。だから、安心して
前を向いていいのさ。美綴の過去には俺がいる。だから、怖がる必要なんて無い。美綴は前を見つめて歩けばいい」
 俺だって、切嗣の叶えられなかった夢を追い続けて今を生きている。縋る過去がなかったら、俺はどうなっていたか分からない。
「信じろって言ったって難しいとは思うけど、俺は美綴を裏切ったりはしない。どんなに離れていようと、俺は美綴の味方だから」
 正義の味方を目指す俺が、まずやらなくてはならないことは、身近な大切な人たちを守っていくことだと思っている。もう美綴は俺にとって一番身近な人となっている。
「衛宮、そういうことは軽々しく言うことじゃないぞ」
「分かってる。俺だって魔術師をやってるからには、自分の言葉には責任を持っているさ」
「そういう意味じゃないんだけど……衛宮に言ったところで無駄そうだな」
「へ?……なんでさ?」
「なんでもない。この話は終わり。衛宮、これからもよろしくな」
「ああ、こちらこそよろしく」
 状況が良くわからずも、俺は美綴と握手をして自室へと向かった。
 これから何があっても、美綴を守ってみせると誓いながら……。

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