目を醒ませば、そこには見慣れた天井が広がっていた。体を起こして洗面所に向かう。
 火災の夢は見慣れている。しかし、だからといって動揺がないと言えばそれは嘘になる。2月という真冬にも関わらず、服はびっしょりと汗で濡れていた。息もあがっている。
  顔を洗い終え、気分転換も兼ねて道場へ向かう。中に入ると先客がいた。
「やはり、シロウの朝は早いのですね」
  正座して精神を集中させていたセイバーが立ち上がりこちらにやってきた。
「起床時間いつもと大して変わらないけど今日は少し嫌な夢を見てさ、気分転換に道場に来たんだ。もしよかったら剣の鍛練の相手をやってもらえるかな」
「ええ、喜んでお相手します」
  そうして俺とセイバーはいつものように剣の稽古を始めた。例の如く俺はセイバーに完膚なきまでに叩きのめされ、半刻が経った頃には立つのがやっとの状態になっていた。肩で息をしながら呼吸を整えていると、視界の片隅に人影が映った。
「なんだ美綴。いたなら声でも掛けてくれよ」
  壁に背を預けて腕組みをしながら美綴が立っていた。
「真剣勝負に水を差すなんてできないじゃない?」
「そうだな。まぁ、勝負というよりは俺がセイバーに一方的にやられてるだけだけどな」
「それでも本気には違いないでしょうに」
  美綴の返事に安堵を覚える。俺たちのことを敵対視していないようだし、一日経って錯乱状態にもなっていないようだ。
「なぁ、美綴」
「ん?何、衛宮」
「やっぱり、思い出せないのか?」
  魂の磨耗による記憶喪失。遠坂の言葉を信じていないわけではないが、美綴の記憶がなくなってしまったという事実をどこかで受け入れられない俺がいた。
「どうも、思い出せない」
  美綴の返答は簡潔だった。分かっていても、美綴の答えは心に響いた。行き場のない怒りと悲しみが、目尻に溜まる。
「おや衛宮、泣きそうになってない?嬉しいねぇ」
「ああ、記憶喪失は他人事じゃないからさ」
  欝屈とした感情を振り払い、美綴に向き直った。美綴は不思議そうに俺を見つめていた。
「俺は十年前に一度記憶を失っているんだ。冬木市の大火災に遭ってさ、生死を彷徨った結果、それまでの記憶をごっそりなくした。両親も亡くして一人生き残った。孤児になった俺は親父の養子になって、ここにやってきたんだ」
  俺の話を聞いている美綴の顔は、次第に曇っていった。考え込むように顔をしかめたかと思えば、答えが返ってきた。
「なぁ、衛宮にとってこの世で一番大切なものって何?」
「そうだな。みんなの笑顔かな」
 正義の味方として生きると誓ったときから、いやそれ以前から俺にとって世界中の人々の幸せが夢であり理想なのだ。
「ああ、なるほど。納得いった」
「なんでさ」
  よく分からないが、美綴は何かを理解してくれたようだ。
「あら、ここにいたのね」
  ちょうど良いタイミングで遠坂が現れた。
「なんだ遠坂、来てたのか。出迎えなくてすまん」
「わたしなら最初からいたわよ」
「えっ?なんでさ」
  確か昨日は話し合いが終わって遠坂は帰ったはずだけど……。
「ああ、衛宮が風呂に入っているときに遠坂が来たからあたしが通したけど、衛宮に言ってなかったな」
 美綴、そういう大事なことは伝えてくれ。
「というか、わたしも今日から聖杯戦争が終わるまで士郎の家に泊まるから」
「はい?」
  聞いてないぞ、そんな話。
「セイバーがいるとはいえあんたじゃ心配じゃない?わたしとアーチャーがいれば心強いでしょ」
「私一人でシロウとアヤコを守るのは些か不安ですから、凛がいれば安心ですね」
  うっ、セイバーに言われてしまうと倫理的問題で断るわけにはいかなくなってしまう。
「観念したかしら」
「ああ、参った。好きにしてくれ」
「ええ、もちろんそうするわ。それで今日の予定だけど、わたしは綾子の家に行って綾子の家族に暗示をかけて冬木市外に避難させるわ。そうね、衛宮くんたちはヴェルデに綾子の生活用品を買いに行ってもらえないかしら。適当に綾子の服は見繕ってくるけど、それ以外をお願いするわ」
「分かった。美綴はそれでいいか?」
「ん?あたしに断る理由はないね」
  セイバーを見ると頷いてくれた。
「じゃあ決定だな。そうとなれば朝ご飯をぱぱっと済ますか」
  聖杯戦争八日目の朝はそうして始まった。
 

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