今にも止まりそうな速度で急角度の坂道を上っていく錆びた自転車は、ペダルに力を込めるために軋むような金属音を響かせる。

 闇に侵食され始めた夏の空色、まるで立ちはだかる壁のような雲。

 昼間に降り注いだ日光の帯びた熱を未だに含んだ空気が身体にまとわりつく。

 三年間、通い続けた道。

 消えたのは、一人分の重量。

 去年と違うのは、それだけ。

 突然聞こえた、乾いた音に驚いて目をやる。

 夏の夜空に咲く、花。

 咲き、散り、消える。

 瞬く間に。

 一瞬の死が、無数に積み重なっている。

 終わり、終わり、終わる。

 死に、死に、死ぬ。

 ふと感じたのは、二人分の重み。

 そこには誰もいないのに。

 いるばすないのに。

 後ろを振り向けない。

 未だに現実を、受け入れられていない自分に嫌気がさす。

 今年もまた、夏が終わる。

 何も変えられないまま、何も埋められないまま。

 また秋がやってくる、沢山の痛みと一緒に


 
−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−*−


 
 今にも止まりそうな速度で急角度の坂道を上っていく錆びた自転車は、ペダルに力を込めるために軋むような金属音を響かせる。

 夕方になってもなお、まだ熱を孕んだ空気にまとわりつかれ、必死に身体が体温を冷やそうと水分を放出する。

 なんとかバランスを保ちつつ、必死に立ちこぎをする俺の後ろから聞き慣れた声。

「ほらほら、もっと頑張りなさいな」

 乗っているだけでなんでそんなに偉そうなんだ、貴族かよお前は。

 思っているだけで、口には出さない、と言うより正確には口に出す余裕が無い。

 荒く息を吐きながら、ほぼ静止しつつある自転車を必死に進ませる。

「あっ」

 乾いた銃声のような音と共に後ろから漏れた声。

「どうした?」

「花火…」
「ああ、花火大会今日だっけ」

「私、花火って嫌いなの」

「どうして?」

「消えてしまうから」

 意味がわからなかった。

 この時はまだ。

 思い返せば、彼女は気づいていたのかもしれない。
 
 俺はこの時まだ、子供じみた永遠を信じていた。

 そんなもの、ただの幻想だと知らずに。

 夏が終わり、秋がやってくる。

 もう戻れない、あの日には。


 
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 その日は、寒い日だった。

 まるで絵の具で塗り潰したように均一な白い空は、全く同じ色の粉雪を降らせていた。

 風に吹かれて舞う今年初めての雪は、地面に落ちればただの水になってしまうくらいの出来損ないで。

 まるで俺みたいだ、なんて思った。

 家に帰ると知らされたのは、最悪の知らせ。

 昨日まで笑ってたのに。

 大丈夫だって言ってたのに。

 看取ることさえ出来なかった、ドラマみたいに上手いことなんていかなかった。

 いくはずなかった、脇役にすらなりきれないレベルの俺なんだから。

 最後まで一緒にすら、いられなかった。

 病院で見た彼女の脱け殻には、何も感じることが出来なかった。

 あまりに現実味が無さすぎて。

 とんとん拍子で全てが進んでいく。

 あの人間味が無い透明な病室に彼女を取り残したままで。

 涙すら出ない。

 俺もどこかに取り残されてしまっているのだろう。

 時が過ぎても、いつまでも。

 溶けない雪のように。

「私のことは忘れて」

 空耳が聞こえる。

 性格が悪いなお前は。

 そんなこと言われたら、忘れられるはず無いのに。
 

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