身体中の水分が、少しでも熱を冷まそうと皮膚に空いた無数の穴から次々に体外へと出て行く。
その水分の粒達が薄いワイシャツの下の肌を撫でていく感覚が、俺が夏という季節が苦手な要因の一つだった。
強烈な八月の日差しは殺意を持っているかの様に大地へと降り注ぎ、鉄板みたい暖まったアスファルトに当たって全反射する。
学校の夏期講習の帰り道、通い慣れた海沿いの小道で自転車を走らせる。
等間隔でペダルを踏む自分の体が、既に限界が近い程に暖められている様に感じる。
優しく頬を撫でていく濃い塩味の風だけが、少しだが身体に蔓延する熱を冷ましてくれる。
視界の左端に存在する、小さな駄菓子屋が、徐々に大きさを増してくる。
自転車を激しく乗り捨て、派手な音をたてながら引き戸を開ける。
懐かしい香りに包まれた店内へと飛び込み、火照りきった身体を手で扇ぎながら、店の奥へと叫ぶ。
「おばちゃん、いつもの!」
ゆっくりと店の奥から姿を見せたおばちゃんの右手には、俺の今一番欲しい物。急いで制服のズボンのポケットから手探りで百円玉を見つけ出して渡す。
受け取ったのは瓶のサイダー。
一気に普及し、我が物顔で振る舞っているペットボトルが、俺はどうしても好きになれなかった。
握った手から伝わる冷たさ。
触れた唇から伝わる冷たさ。
キンキンに冷え切ったサイダーの冷たさを、瓶はそのまま伝えてくれる。
それだけでなく、味も抜群に美味しく感じる。
それに比べ、ペットボトルは何故か人工的で無機質に感じるのだ。
「ありがとっ!」
急いで店を出て瓶を右手に持ちながら、防波堤の切れ目にある緩やかな階段を下っていく。
白い砂浜と青く広がる海を見つめながら、階段の途中に座り込む。
夏という季節の習慣となった行為。
瓶に口を付け、喉の奥底へと冷え切ったサイダーを流し込む。
口内で微小な二酸化炭素の泡が心地良い音をたてながら弾け出す。
無数の刺激が、口内に満ち溢れていく。
急速に、身体中の熱が冷めていく様な感覚。
心地良い感覚に浸りながら、何時ものようにぼんやりと視界を埋め尽くす海を眺めていると、波間に何かが漂っている事に気が付いた。
波によって不規則に揺らめくそれは、時たま眩しい程に陽光を跳ね返して自己主張する。
目を凝らすと、それが何かの瓶であることが認識出来た。
少し強い波に流されたその瓶が、柔らかく湿った波打ち際の砂に突き刺さる。
裸足になって、砂浜から伝わる熱に耐えながら、小走りで近寄って手に取ってみる。
手にとってみたそれは、思ったよりも小さな瓶だった。
その瓶の中には小さく、折り畳まれた白い紙。
詰め込まれた大きめのワインの様なコルク製の栓を、力付くで引き抜く。
何度も何度も折り畳まれたその紙を開くと、そこには可愛らしく丸みを帯びた文字で、ただ、「閉ざされた私の世界から、広い広い海の向こう側へ。良かったら私の世界を広げて下さい」とだけ書かれていた。
他に何か書いていないかと、紙を裏返してみると、住所と共に「この瓶はそのまま、また海に流して下さいね」とだけ書かれていた。
住所を胸ポケットから出した生徒手帳にメモして、再び強く栓を詰め込む。
そして俺は、果てなく広がる視界の青に、その瓶を放り投げた。
中途半端に残ったサイダーを片手に持ちながら、自転車に跨る。
不安定な片手でゆっくりと自転車を走らせながら、俺の頭の中は返事の内容でいっぱいだった。
周り続ける閉じられた俺の世界が、偶然繋がった別の世界によって開かれた様に感じていた。
帰ったら、直ぐに返事を書こう。
俺の世界を開いてくれた、海の向こうの何も知らない相手に。
奥の方から湧き出して来る不思議な感情に浸りながら、残ったサイダーを飲み干す。
常温になってしまったサイダーが、いつもとは違う味に感じた。
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