ここは、聖應女学院に唯一残る寮棟櫻館の一室。女性にしては長い身長とグラマラスなボディラインをもつ美少女がもう一人の少女に向かって話かけた。
「お姉さま、今日も忙しかったんじゃないの?」
  長身の美少女七々原薫子の質問に、小柄で可愛らしくも清楚で大人らしい雰囲気を纏った女性が答える。
「そうですね。演劇部も清涼祭に向けての台本を決めなければいけない時期になりましたので、多少慌ただしくはなってきましたが、体調の方は問題ないですよ」
  その華奢で幼さの残る容姿とは裏腹に学院内では『エルダーシスター』という名称で、学院の全生徒の頂点に立ち、憧れの存在である周防院奏の答えに、薫子はあきれながら言った。
「お姉さまの言う問題ないは、つらいけどなんとかなるっていう意味の『問題ない』でしょ?あたしを騙そうったってそうもいかないよ」
  図星だったのか、奏は心底困った顔で答える。
「たしかに少しつらいですけれど、本当に大丈夫なのですよ」
「お姉さまがつらいってことは、相当疲れてるんでしょ。それに、清涼祭ってまだまだ先の話じゃない。去年だって夏休みの後半になって日に日にやつれていくお姉さまを見兼ねて、あたしも台本選びを手伝った気がするよ」
「去年は確かに夏休みの後半でしたが、今年は早めに始動しなければいけないのです」
「お姉さまも頑固だよね。去年だって、緑先輩も何かとお姉さまを頼るから周防院奏の妹であるあたしとしては終始ひやひやしてたよ」
「薫子ちゃん、この学院で先輩って呼ぶのは良くないですよ」
「えっと、あの人は緑お姉さまと呼ぶより、緑先輩って呼んだ方が喜ぶんだ」
「それは確かにそうかも知れませんけど……」
「それで、お姉さま。早めに始動しなければいけない理由をおバカなあたしにも分かりやすく説明してほしいんですけど」
「薫子ちゃんはもうおバカじゃないのですよ」
  確かに、薫子は入学当初はクラスでもぱっとしない成績ではあったが、今では奏と奏のお姉さまであった宮小路瑞穂の指導のおかげもあり、学年でもトップとは言わないまでも割と上位には位置している。
「話を逸らさないでください」
  さすがに奏も薫子のただならぬ雰囲気を感じ取ったようで、正直に話しはじめた。
「今年の夏休みは忙しいのです。だから、劇の台本は一学期中に決めておく必要があるのですよ」
「あれ?今年は、お姉さまも出掛けるの?」
  夏休みの寮は寮母も不在となるため、帰省するのが普通であった。しかし、奏は毎年寮に残っていたのである。なぜならば、奏には帰る家がこの寮の他にはないのだ。そう、彼女は生まれて間もない頃両親に捨てられ孤児院で育てられたのである。その孤児院というのが聖應女学院と同じ鏑木系列であったため、奨学金制度を利用して学院に通っているのだ。それを知っていた薫子は奏の発言に疑問を感じたのだった。
「薫子ちゃんにはしばらく秘密にして置こうと思っていたのだけれど、ここまでばれてしまったら仕方がないですね。実は今年の夏は、瑞穂お姉さまの所で過ごすことになったのですよ」
「ふーん。そうなんだ。よかったねお姉さま」
 少し寂しげに薫子はそう答えた。
「もちろん薫子ちゃんも一緒ですよ」
  奏は薫子のことに関しては殊頑固になるという傾向があった。この言葉にも相手に有無を言わさぬ勢いがあった。しかし、薫子も姉譲りの頑固さをもちあわせていた。
「前にも言ったけど、あたしは大きな家とか苦手だし、おとなしく寮で過ごすよ」
 そんな薫子の発言にも奏は全く慌てる素振りを見せない。
「その答えは予想済みですよ、薫子ちゃん。今回私たちがお邪魔するのは瑞穂お姉さまの実家ではないのです。郊外にある瑞穂お姉さまの別荘に泊めてくださるそうです。大きさもこの寮ぐらいらしいので、それなら文句はないですよね」
 奏にそう切り返されては、薫子は苦笑いを浮かべるしかない。
「ははは、さすがだねお姉さま。だけどやっぱり瑞穂さんの別荘だから使用人は沢山いるんでしょ?そういう場所はごめんだな」
 しかしながら薫子も相当頑固だ。
「ふふふ。使用人と呼ばれる人は一人も来ませんよ。楓さんが来てくれるそうなのです」
「あれ?楓さんって瑞穂さんの家の家政婦さんじゃなかった?」
 薫子も楓さんとは面識がないが、去年の年末にお蕎麦をくれた人ということで記憶していた。実際はお蕎麦をくれたのが西岡さんで、蕎麦つゆが楓さんだったのだが……
「実は楓さんと瑞穂お姉さまのお父さまが結婚なさったそうなのです。だから楓さんは瑞穂お姉さまのお母さまなのですよ」
「えぇぇぇ―――!!まじ?すごいね。それは」
 薫子は驚きのあまり、普段以上に聖応女学院生らしからぬ口調になってしまった。
「ええ、私もすごくびっくりしました。ところで薫子ちゃん、そろそろ言い返せなくなったのではないですか?」
 奏には珍しく、小悪魔の笑顔を浮かべている。薫子は心底まいったという感じで答える。
「全く、お姉さまにはかなわないね。瑞穂さんがよければあたしもお邪魔することにするよ」
「薫子ちゃんならそう言ってくれると信じてましたよ」
 薫子は奏の満面の笑みをみると、自分が言い負かされたのにもかかわらず、なんだか安心するのであった。
「信じてたじゃなくて分かってたの間違いでしょ?ところでお姉さま、別荘には誰が来るの?」
「瑞穂お姉さまと楓さんに加えて、紫苑お姉さまと貴子お姉さま、後はまりやお姉さまも来るって言ってました」
「ふーん。お姉さま方全員集合だね」
「そうですね」
 会話が一段落着くと少しの間だけ沈黙が続いたのだが、その沈黙も薫子の一声によって破られることとなった。
「ん?待てよ。……あっ!」
「薫子ちゃん、どうしたのですか?」
 薫子のただごとではない雰囲気に奏は心配して声をかけた。
「そういえば、夏休み中ずっと寮に泊めてもらえるよう、お姉さまと由佳里さんに頼んでくれってケイリに頼まれたんだった」
 そういう大切なことは忘れないでほしいと思う奏であったが、奏にもおっちょこちょいな部分があるので、今回は大目に見ることにした。
「ケイリちゃんがですか。そうですね、私たちは夏休み中は寮を空けることになるので、瑞穂お姉さまにケイリちゃんも一緒に泊めてもらえるように頼んでみますね」
「ありがとう、お姉さま」
チリリリリ…チリリリリ
《はい、聖應女学院寮です。あはっ、瑞穂お姉さまですか。はい元気ですよ。奏ちゃんですね。少々お待ちください》
「奏ちゃん!瑞穂お姉さまから電話来てるよ〜!」
 階下から生徒会長兼陸上部部長の上岡由佳里の快活な声が届いた。
「はい、今行きます」
「瑞穂さん。計ったようなタイミングだね」
「もしかしたら、私たちの会話を聞いていたのかも知れませんね。それでは、ちょっと席を外しますね」
「行ってらっしゃい、お姉さま」

 

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