達哉が月へ出発してから現在二時間が経過している。今、私は月移住区以外で安心できる場所の一つ達哉の家に来ていた。達哉が乗っているシャトルを見送り、教会に帰ろうとしたところで、麻衣さんたちと会い、そのまま朝霧家へと連れてこられた。結局みんな達哉のことが心配だったようで、外で達哉のシャトルを見ていたのだそうだ。
「義姉さんっ」
 最近、麻衣さんは私のことを『義姉さん』と呼ぶようになった。
「何でしょうか、麻衣さん?それとまだ義姉さんではありません」
「うわぁ、“まだ”って言いましたね。今」
「っつ!!」
 危うくお茶をこぼす所だった。最近の麻衣さんは恐ろしい……。
「あのっ、そういえば穂積さんはどうしたんですか?」
 動揺のあまり話を逸らすしかなかった。そんな私を麻衣さんは、満面の笑みで見つめている。
「ん?お姉ちゃんならまだ仕事があるとかで、博物館に戻りましたよ」
「そうですか、一言挨拶していきたかったのですが……」
「お姉ちゃん、すぐ戻るって言ってたから、義姉さんがイタリアンズと遊んでいる合間にお姉ちゃんも帰ってくると思いますよ。その間私は勉強しいているので」
「いえ、教会を長い間留守にするわけにもいきませんので、私はこの辺で失礼します……」
 私はそう言ったが、麻衣さんは私の顔を見て笑いながらこう返事を返してきた。
「イタリアンズもお兄ちゃんがいなくなって、構ってくれる人が少なくなっちゃったんです。私とお姉ちゃんも、勉強や仕事で最近は忙しいですからね」
「そういうことなら、私がイタリアンズと遊んであげましょう」
「あはは。はい、お願いします」
 なんだか麻衣さんに、あっさり言いくるめられてしまった。

 こんなふうに半分我が家になりつつあるこの朝霧家。麻衣さんと言うと達哉と同じ大学に入り今、教師になるため頑張っている。
 
 さてさてイタリアンズたちと至福の時間を過ごすことといたしましょうか。
「麻衣さんはもう上に行きましたよね………」
 私はおもむろに階段の上に神経を注いで………確認。アンゼンデスヨ!!
「さあ、貴方たち、ムフフフ」
 そして、私はMYエンジェルにダイブした。
「ああ、神よここは地上の楽園か。これこそ神が作りし芸術、こら、待ちなさい、んーん♪この毛並みとこの手のフィット感、
やはりこの柴だけは私は犬ランキングのナンバー1です〜」
 ワシャワシャとアラビアータの喉をさわっていたら、他の二人もかわってほしいのか体当たりに近い勢いで接近してきた。
「ってっちょっとまってください。わかってます。私は聖職者ですので、みな平等にかわいがります。さあ、いらっしゃい」
 

 そして二時間後。

             
「ただいま〜、ごめんなさいエステルさん待ちました?」
「……あら」
 今の状況、この二時間ずっとアラビアータ(豆柴)たちとじゃれていたのだが、そこに穂積さんが帰宅して・・・
「あらあら、お邪魔しちゃったわね」
「いえいえいえいえいえいえいえ、そんなことはありませんから」
 完全にいま顔が真っ赤になっていることが分かる。
「あれ?お帰り、お姉ちゃん。随分遅かったね」
 今まで勉強していた麻衣さんがリビングに下りてきた。た、助かった・・・
「そうなのよ。少し館長室で探し物をしていたのだけれど、なかなか見つからなかったのよね」
 私は抱いていたアラビアータを放して穂積さんに答えを返した。
「探し物ですか。何を探していたのですか?」
「いいものよ。エステルさんのために持ってきたものなのだけれど、エステルさん教会に戻らなくて大丈夫?」
「え、あ、はい午前は閉めておきましたから」
「ふふ、ならあと一時間ぐらいは大丈夫ね。麻衣ちゃ〜ん、ちょっと来て」
「うん、なぁに?お姉ちゃん」
 穂積さんはキッチンにいた麻衣さんを呼び、皆がリビングに集合した。そして穂積さんが持っていた紙袋の中身を、テーブルに広げた。
「これより朝霧家のアルバム公開をします!ちなみにこのアルバムは達哉くんオンリーです」
「た、達哉のですか!?」
 危うく、よだ、いえいえ、はしたない行動を取るところでした。
「それでは鑑賞会始まり、始まり〜」
「良いのでしょうか?達哉がいないのに見てしまって」
 確かに達哉の子供時代の写真には興味があるとはいえ勝手に過去を見てしまうのはどうかと思った。そうしたら、穂積さんは私の目の前に来て不敵な笑みを浮かべながら言った。
「ふふ、いいのよ。なんてったってこのアルバム、達哉くん知らないから」
 人差し指を口に当てて、得意げに言う穂積さん。
「お姉ちゃん、すごい。お兄ちゃんに知られずにアルバムを作ってたなんて……。ってことは、もしかして私のも……」
 麻衣さんは、顔面蒼白になっていた。
「んふふ、どうかしらね?さて、達哉くんのアルバムを開きますよ〜」
 穂積さんは、麻衣さんの様子は一切気にせず、鑑賞会の準備を着々と進めている。
「達哉君も月にいっちゃったし、やっとこれがお披露目できるわね。菜月ちゃんも呼ぼうかしら?」
 月にいる達哉も、地球で自身が非常に危ない目に遭っていることは知る由もない。達哉の彼女として、穂積さんの暴走を止めなければ!
「穂積さん。やはり、達哉がいないところでこんなことをしてはまずいと思います。このことを達哉が知ったらきっと悲しみます」
 しかし、そんな私の抵抗も呆気なく破られてしまう。穂積さんの一言で……。
「あら、いいのかしら?確かこのアルバムの中に、幼いころの達哉君のお風呂姿が写っ……」
「さー見ましょう、神は私の味方です。さあ、早く」
 達哉ごめんなさい。全ては、穂積さんがいけないのです。


             
 現在の時刻は午前4時。今、私は後悔と充実さに挟まれている。幼い達哉があまりにも可愛くて、あのあと結局私は朝霧家にお泊りしてしまった。アルバムとは恐ろしいものだ。
 そして、午後の教会はリースに任せてしまった。リースはそのときの電話で……
「エステル、産休?」
 なんて言われたが……。いったい、誰にそんな言葉を吹き込まれたのだろうか?その話を菜月さんにしたら、慌てて家を飛び出していったが、何か関係があるのだろうか。

 さて、結局今日は、麻衣さんと穂積さんに遊ばれてしまったような気がする。朝霧家にメモを残しこっそりと教会へと戻る途中で、ちょっとした不満をいつものように私は呟いた。
「まったく、達哉。ちゃんと後で妹さんとお姉さんに言ってくだ……」
 そしていつものように隣を歩く達哉の方に振り向いた。
「…………。そうでした、達哉は月に行ってしまったのでしたね」
 私が振り向いた先に達哉の姿はなかった。つい癖で、達哉がいるものだと思って話していた。
「モーリッツ様の時は大丈夫でしたから、達哉がいなくなっても大丈夫だと思いましたのに・・・」
 いつの間にか達哉に二度目にあった時の場所にいた。そこは初めて彼を否定した場所でもあった。
「私は強くないのですよ、達哉。貴方のように強くありません。なんど拒絶されても私に会いに来てくれた貴方のように……」
 私はいつの間にか、目に水滴をためていた。いつから泣き始めたのかはわからない。とにかく、涙が止まらなかった。
 一番親に近い存在のモーリッツ様の時でさえ、私はこんなにも不安になったことがなかった。強い気持ちを持って、モーリッツ様を見送ることができた。
「あの時、達哉がずっと側にいてくれたのでしたね」
 いや"大丈夫だった"というのは間違いなのだ。彼が"大丈夫でいさせてくれた"のだ。
「私は少し奢れていたのかもしれませんね。貴方がいなければ私はあの時の事実で心が折れていたかもしれなかったのに……。貴方がいたから私は……」
 私は達哉よりずっと子供なのだ。司祭なんて人に説法を唱える仕事をしているのに、私の心は弱く脆い。それに気づかせてくれたのも、達哉だった。
「達哉がいなかったら、私は変われませんでした。ずっと弱いままの私でいたことでしょう」
 達哉は私を地球に残して、月へ行ってしまった。きっと私のことを、信頼してくれたのだ。今の私なら、達哉がいなくても三ヶ月間、地球のみんなと暮らしていける、と……。
「ならば私はそれに応えますよ、達哉。貴方が月にいる間、私も地球で頑張ってみようと思います」
 あと、もう少しで月移住区の橋に差し掛かかろうとしたころ、一筋の光が彼女にあたった。それは俗に言う「夜明け」なのだろう。月では見ることができないもの。

 達哉は月へ行った。自分の夢のために……。

 私も夢を守り続けるために、教会に早く戻ろう。

 

 


 一人の少女は抱いた夢は、本人も知らぬ間に実現していたのだ。彼女がそれに気づくのは、もう少し先の話になる。

 

 

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