「あれ?姉さんは今日も仕事?」
  日曜日ということもあるが、少し寝坊した俺は昼前に起床し居間に降りてきた。
「ええ。さやかはどうしても今日中に終わらせておきたい仕事があると言って、博物館に行ったわ」
  俺が話かけた相手は、月の姫さまである。冗談ではなく本当の話だ。フィーナ・ファム・アーシュライト。れっきとしたアーシュライト家のお姫様である。
  ではなぜそんなお姫様がこんな地球の一般庶民の家にいるのかといえば、少し深い事情がある。
  フィーナはお付きのメイドのミアを伴って家にホームステイをしに来ていたのだ。始めはお互いにぎこちなかったが、今ではフランクに話し合えるほど仲良くなった。ただ、ホームステイをしていたのは春から夏にかけての期間であり、二人はもう月に帰っている。ただ、フィーナが地球にホームステイしたことで、地球と月の外交は活発に行われるようになった。そのため、会議や会合、パーティーなどのためにフィーナも地球に来訪することが多くなり、その度に家に泊まっていくようになった。
「あれ、麻衣は?」
「麻衣さんは、学院に行くと言っていました」
「どうして?」
  今日は日曜日だ。麻衣の所属する吹奏楽部も日曜日は休みのはずである。
「フルートを持っていたから練習に行ったのではないかしら?」
「今日は練習がないはずだぞ」
「きっと麻衣さん、達哉さんに気を遣って勉強の邪魔をしないように一人で自主練に行ったのだと思います」
  昨日は、今日が休みということで俺は夜遅くまで大学受験のための勉強をしていた。それを知っている麻衣は、起きてこない俺を無理に起こさず、一人で自主練に行ってしまったのだろう。いつもは俺が麻衣のフルートの自主練に付き合っていた。ただ最近は勉強とバイトの両立が大変で、麻衣と過ごすの時間が少なくなっている。恋人同士だというのに……。
「ちょっとそこまで散歩してくる。悪いけどミア、昼ご飯は麻衣とどこかで食べてくるからフィーナと二人で食べてくれないか?」
「ふふふ。わかりました。お二人はアツアツですね、姫さま」
「そうね。羨ましいわ」
  そうして二人にからかわれながら俺は家を出た。暫く歩いて、学院に着いた。日曜日ということもあり、グラウンドで運動部が活動しているぐらいで、校舎には人気がない。しかし、校舎に近づくと何とも哀しげなフルートの音色が聞こえてきた。麻衣の演奏だ。
「麻衣、いるか?」
「ひゃあ!」
  秋とは言えない季節となったので、さすがの麻衣もいつもの場所ではなく教室で練習をしているようだ。ただ日曜日なので、当然暖房は付いていない。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。それより、どうしてお兄ちゃんがここにいるの?」
  驚きのあまり椅子から落ちた麻衣が、そのままこちらを見つめてきた?
「それはこっちの台詞だ。なんで麻衣は一人でフルートの練習をしてるんだ?」
「それは、勉強で忙しいお兄ちゃんを誘ったら悪いと思って」
  やっぱり、フィーナたちの予想は当たっていた。
「自主練の時は付き合うって前に約束したじゃないか」
「だってそんなのお兄ちゃんと恋人同士になる前の話だもん」
  麻衣もあの日のことは覚えているようだ。麻衣と恋人同士になれたのもあの日のやり取りがあったからこそなのだと思っている。あそこで俺が麻衣を迎えに行かなかったら、財布を忘れなかったら、もしかしたらまだ俺たちは気持ちを伝えられずにいたかもしれないのだ。
「だからって一人で来たのか?」
  俺がそう問い詰めると、麻衣は押し黙ってしまった。
「確かに今俺は勉強が忙しい時期だけど、麻衣も大切なんだ。俺は麻衣との時間を一分一秒無駄にしたくない。だから……」
「……嘘つき」
「えっ?」
  麻衣の予想だにしない反応に俺は戸惑いを隠せなかった。
「お兄ちゃん、わたしに隠しごとしてる」
「……それは」
  確かに心当たりはあった。だけどそれは麻衣に……。
「手袋とってよ」
「いや。これは麻衣に買ってもらった大切なプレゼントで……」
「だからって、左門さんやお姉ちゃんに怒られてまで手袋をし続けるなんてお兄ちゃんらしくない」
  わかってる。だけど……。
「おやっさんや姉さんがなんと言おうが、俺はいつでも麻衣を感じていたいんだ」
「お兄ちゃんのバカ……もう何にも信じられないよ」

 ───バチン!!
 麻衣は俺の頬を思い切り叩いた。そして、そのまま麻衣は走り去ってしまった。


「麻衣っ!!……くそっ!」
  どうすればいいんだ!とりあえず、麻衣を追わないと……

 

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